何処の国の何処の場所でも
いつもの場所でも
街に出かけとして
見て感じていること 常である
「あそことあそこの店に必ず立ち寄る」
といったことでもある
哲学似詳しい訳ではないが
イヴァン・イリイチという人は
「コンヴィヴィアル」
と言ったそうな
宴席という意味だそうだ
人間の楽しく豊かな生活は どこにあるのかと言えば
まさにコンヴィヴィアルさにあるのではないだろうかと
そしてそれは仲間と創造 共感諸々 するもの コト であったり
文化・社会において コンヴィヴィアルな 装置をつくることが 結果 事業と相成る
毎日の人間の営みはそういうものであって欲しいなぁ
コンヴィヴィアルな暮らしをつくること は やりがいのあること
その営みの始まりが
「自分がどう他と接するか」から始まるわけだ
そうなってくると やはり
「修身斉家治国平天下」をみつけたのと繋がりまして
そういう意味では 儒学は正しいということになり
いつでも どこでも 己から始まるわけだ
あぁ 無常な日々に
今日は コンヴィヴィアル で或る